Génération de roses

第6回 イタリアが僕にくれたもの①

蜂谷雅彦 カマクライフ

鎌倉暮らしやイタリア生活で出会ったあれこれをお届けしているこのコラムですが、昔を振り返って、僕がアパレル業界に足を踏み入れてからイタリアに渡り、帰国して今に至る経緯についても少しずつお話ししていきたいと思います。

題して、「イタリアが僕にくれたもの」。

コラム内シリーズとして不定期にお届けしますので、時代の空気を感じ取っていただけたらうれしいです。
今回はその第1回です。

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ファッション界に足を突っ込んだ日

僕が大学を卒業して、ファッション界に飛び込んだ最初の会社は「トゥモローランド」。経済学部出身の私に自ずと与えられた配属先は営業部でした。

数日間のインダクショントレーニングを終えて、配属先での初日、長い1日が終わってようやく「終礼」の時間。

「終礼」の存在自体が今では考えられませんが、時代はバブル期、朝礼前に新人は清掃をし、終電ギリギリまでみんなが働いていた時代でした。もちろん残業代などは付きません。
それでも終身雇用制時代、疑問も抱かずに黙々と働いていました。

話を元に戻しましょう。そう、初日の「終礼」で、冒頭に部長から「蜂谷、前へ出ろ!」と言われました。部長は拓殖大柔道部出身の強面で、先輩方からも気をつけるように言われていました。

「蜂谷、これを読め。」と渡されたのは百科事典のように分厚い本。
紺色の布の背表紙には「新入社員教育」と、銀文字でプリントされていました。

読むべき段落は、「礼節とは」の一段。「礼節とは、目上のものを敬い…」と細かい字の1ページを読み切りました。

「蜂谷、わかったか?」「はい、わかりました。」「よし、戻れ。」

私のとばっちりを受けて、先輩のS氏も怒られました。「お前、後輩になめられてんじゃねぇぞ。」

何が起きているのかわからず自分では想像を絶する事件だったので、今でも鮮明にそのことを覚えています。

原因は、昼飯どき、S氏の弁当に私が箸を突っ込み、おかずを横取りしてふざけていたことが原因でした。私は当時22歳、先輩と言っても23歳です。ほぼ大学の部活の延長の雰囲気です。かくいう部長もまだ28歳でした。

28歳で一部署を任された重圧もあってのことだったのかと、のちに理解しましたが、実はそうでもなく、単純に私の行動が彼らの理解の範疇を超えていたらしく、その日依頼「新人類」とレッテルを張られました。

こんな礼儀知らずの私がファッション界で繰り広げる、波乱万丈の人生がこの事件から幕を開けたのです。

つづく

Author 蜂谷 雅彦(Masahiko Hachiya)
大人のためのコンフォート、ジェンダレス、エイジレスな服を提案する「HACHIYA」デザイナー。
アパレル駐在員として長くイタリアに在住し、帰国後はグッチをはじめとするハイブランドのマーチャンダイジングを手がける。
現在は、デザイナー、ライフスタイルコンサルタントとして活躍しつつ、海を望む鎌倉の家から、サバーバンライフを発信中。

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