Génération de roses

第18回 ショーモデルの裏事情

蜂谷雅彦 カマクライフ


モデルのRiku。HACHIYAカシミヤコットン・カーディガンジャケットを着て。
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2000年以降の5つの変化

この原稿が掲載されるのは、ちょうどパリコレクションが華々しく開催されている頃だろうか。

パリやミラノを中心にシーズンごとに行われ、ファッションショーは、時代と共にその姿を変えてきた。変えてきたと言うより、変わらざるを得ない時代の変化が2000年以降急速に巻き起こっていた。

それに大きく影響を及ぼした原因としては5つ挙げられるだろう。

一つ目は投資会社によるブランドの買収が急速に進んだこと。
LVMH,GUCCIなどを所有するKERINGなどが次々とめぼしいブランドを傘下に収めてきたことによって、彼らが全ての主導権を握るようになった。

二つ目はファストファッションの台頭だ。
昨今はその売上高は落ち着いてきているが、H&M、 ZARAなどが中堅クラスのアパレル市場を大きく衰退させた。

それを追ってブランドビジネスに影響を及ぼしたのがスポーツブランドのファッションブランド化だ。それを見た各ブランドは慌ててスポーツブランドとコラボを始めた。

最後は、やはりインターネットの普及によりマーケティングのデジタル化が加速したことだろう。
ブランドのイメージ戦略はモデルや芸能人からインフルエンサーに取って代わられた。
今ではそのインフルエンサーの姿も刻々と進化しており、プロダクションのようなコンテンツ制作までもがその個人に要求されている。マーケティング用語で言うとKOL(キーオピニオンリーダー)、影響力のある彼らのフォロワーを狙い、確実性を求めるようになった。マスマーケティングなどすでに言葉としても存在しない。

ファッションショーのあり方の変容

これらの波に押されるように、ファッションショーはメディア関係のエクスクルーシブで行われた後、季節直前にファッション誌での発表となるパターンから、全世界同時配信が通例となってきた。あるときは発表当日にオンラインで同時発売とオーバーアクションを取るようになった時もあった。

少し前までは、トップブランドが発信したものの売れ筋を、翌シーズンに後続者がコピーしていくと言う流れだった。
今は、時代の多様性から市場を席巻するような一大流行はなくなった。他社がコピーすることを恐れる必要もなくなったのだ。アパレル業界は淘汰され、在庫を抱えて販売する会社はこの10年でことごとく消えていった。今や個人のクリエーションをオンライン上で発信/販売できる世の中となり、パリ/ミラノコレクションの意味合いがこの20年間であっという間に様変わりしたのは事実である。

トップブランドの変遷

前置きが長くなったが、それでもモデル達は数が減ったランウェイを目指して、世界中から彼の地へ集まっているようだが、その様子は何か変わったのだろうか?

90年代まではアルマーニやカルバンクラインに見られるような、正統派モデルが重宝された。色物的な扱われ方を除いてアジア人などほぼ皆無だった。
90年代後半、プラダやヘルムートラングなどが流行ると、透明感のある少年少女がその対象となった。
その後リーマンショックを受けてブランドは低迷期に入る。ボッテガべネタやフェンディ、サンローラン、バレンシアガ、クロエなどが伸びた時期もあったが、マーケットシェアを大きく変えるほどでもなかった。
GUCCIも8年前にアレッサンドロ・ミケーレを登用し売り上げを過去最高まで上げたが、経営側が彼を有効に活かすことなく、売り上げがだいぶ落ちたところでの解雇となり、チャイナ・クライシスと相まって、未だ浮上できない。
その中でも安定成長はフランスの3ブランド、エルメス、シャネル、ルイヴィトンだ。
エルメス、シャネルはシグネチャー商品を量販せずに高級化路線に徹し、その魅力を普遍的にしている。ルイヴィトンは資金力に物を言わせ、なりふり構わずマーケットに新商品を仕掛けていき、店舗数を拡大していった。

デザイナーはクリエイティブディレクターとなり、洋服のデザインができなくても、スタイル(気分)だけを提案すればそのポジションにつけるようになった。時代の要求がなければ、構築的な服を作るデザイナーなど壊滅的な状況だ。

流浪のショーモデル

また話がずれてしまったが、モデル達の話である。2010年以降ブランドがこぞって求めたのは、個性的なモデルである。アランドロンや草刈正雄(古い)、シンディ・クロフォードなどを銘打ったスーパーモデルの時代でなく、アジア人ならアジア人らしい切れ上がった目に、フラットな鼻、そして厚い唇の持ち主など、特徴のあるモデルなら採用される可能性が高くなった。
俗にいうイケメンとか美人ではなく、個性的でありながらその服の気分を特定しないモデルが今の主流であろう。


HACHIYAウォッシュドコットンTシャツ

2000年代初頭はまだ古式泳法だったモデル市場。モデルエージェントに希望のタイプのモデル(髪の色や体型など)を伝え、コンポジットを送ってもらい、そこから最終選考に残った彼らのオーディションとなるのだが、なぜかたいてい倍以上のモデルたちが列を成していた。
あるシーズン、私のブランドのカタログに1名のメンズモデルが必要だったが、約200人が列を成した時は流石に面食らった。

彼らはコレクションが始まる数週間前から現地入りする。世界各国からだ。
渡航費、宿泊費はもちろん自腹。今でこそエアビーなどが選択肢としてあるが、安宿を何人かでシェアして雑魚寝状態が普通だ。皆10代前半から20代前半だから、金など持ってやしない。

モデルを必要とする仕事は決してランウェイだけではなく、カタログ撮影や、制作時のフィッティングモデル、ショールーム、パーティーなど多岐に渡る。人気モデルを使いたいが、一本の金額も相当なので、ランウェイや広告以外の仕事はギャラの低いモデルを探すことが多い。新人や無名な連中も千載一遇とはいえ、ゼロでは無いので、そこに賭けるのだ。

ここで付け加えておきたいのは、有名ブランドの仕事は決してギャラが高いわけではない。
皆その実績を足がかりにしたいのでギャラが低くても率先してその仕事をとりにくるからだ。ひどい話である。

モデルはエージェントに所属していることが必須である。
日本から行く場合でも現地のエージェントとコンタクトして登録してもらう必要がある。
それ無しに「えいやっ」と来たところで門前払いだ。

ただここにもある仕組みがある。どのエージェントでもいいわけではなく、大手エージェントに優位性があるのだ。
芸能事務所で吉本やホリプロといった大手があるように、モデルエージェントも同様にそれはある。なぜ大手が優位かというと、単純に良いモデルを多く抱えているので仕事が簡単に進むからだ。モデル選びに多くの時間を割くことなく、イメージ通りの候補者が数社で纏まればそれに越したことはないし、スタッフも充実しているのでオペレーションが煩わされない。

昔はデザイナー、もしくはクリエイティブ・ディレクターがオーディションをしていた。ある程度絞ったとしても相当数の人数は毎回見ていたような気がする。今はスカウト担当がいる時代だ。彼らが全て取り仕切る。限られた人数のプレセレクションがあり、そのメンバーだけがオーディションに呼ばれて最終選考となる。

ショーも減り、オーディションの門戸もさらに狭くなったと言うのに、今現在この登竜門に押しかける人数は20年前の約20倍くらいに登るらしい。

若者がその先に見据えている未来は何なのか?
勝ち得た仕事の行く末に待ち受けている未来が、彼らを幸せに導いてくれることを願うばかりだ。


シーアイランドコットン デニムジャケット

Author 蜂谷 雅彦(Masahiko Hachiya)
大人のためのコンフォート、ジェンダレス、エイジレスな服を提案する「HACHIYA」デザイナー。
アパレル駐在員として長くイタリアに在住し、帰国後はグッチをはじめとするハイブランドのマーチャンダイジングを手がける。
現在は、デザイナー、ライフスタイルコンサルタントとして活躍しつつ、海を望む鎌倉の家から、サバーバンライフを発信中。

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